昨日から風の強い宮崎市より、今日も元気な永冨です
こんにちは(*ノωノ)
今年の桜の開花は早かったのですが、気付けばあっという間に葉桜へと殆どの桜が姿を変えておりました。
まだ少し残る桜に春の名残を感じつつ・・・といった感じでしょうか。
皆様はお花見等にお出かけになりましたか?
私はお花見には出かけませんでしたが、通勤中に満開の桜を愛でながら暫く通っておりました(*^-^*)
さて季節の移ろいは早いもので明日5日は二十四節気の一つ「清明(せいめい)」です。
万物が清らかで生き生きとした様子を表した「清浄明潔」という言葉を訳した季語とされ、花が咲き、蝶が舞い、空は青く澄み渡り、爽やかな風が吹くころとされます。
また以前は前日に「寒食」といい、火気を用いない冷たい物を食べる習慣があったそうです。
春の花々から、青く茂る若葉へ。
植物一つをとりましても季節のかわりゆく様を見ることが出来る時期になりましたね(*'ω'*)
さてさて、季節に密接なのが「天気予報」ではないでしょうか?
天気予報は元々、天気報告として135年前の1883(明治16)年4月4日に時事新報に掲載されたのが日本初とされます。掲載したのは福沢諭吉。
「予報」でない理由として、掲載されたのが4月1日午後2時の天気だった為です。
当時、東京気象台(現・気象庁)は天気予報を発表しておらず、その為に3日前の天気を掲載したのだそうです。福沢諭吉は「この掲載により、米相場の抜け駆けはなくなり、航海にも役立つ。だいいち日本国を縮小してこれを一呑みにする天気実況の掲載により、日本人の小胆近視という悪い癖がなくなるだろう」と述べたそうです。
この天気報告には全国22ヶ所の観測所があり、それぞれの気圧・風向・風力・雨量・気温・天気も掲載されたそうです。
天気報告の掲載から2ヶ月後、1883(明治16)年6月1日より、東京気象台が「天気予報」を発表しましたが、8時間先までの予報の為、新聞が届くころには予報期間を過ぎていたそうです。
1888(明治21)年4月に24時間先まで延長されると、他の新聞でも天気予報が掲載されるようになり、広く普及していきました。
NHKがラジオ放送を開始し天気予報を伝えるようになったのは1925(大正14)年でした。
今では当たり前の様にテレビやラジオ、或はパソコンやスマートフォンと手軽に天気の確認をできる様になりましたが、それにはこんな歴史が隠れていたようです(・∀・)
さて週末にかけてお天気が下り坂のようで、暖かさも一旦おしまいのようです。
季節の変わり目、体調管理には十分にお気を付け下さいね(*^-^*)
明日5日㈭はアンティ定休日でございますのご注意下さい。
お問い合せ等につきましては6日金曜日より順次対応致しますので、メールなどにてご連絡頂ければと思います。
それでは(o^□^o)ノ